歴史の重要性
 
弥生/March2008
史があって未来があるのであり、未来があって未来があるわけではない。

なんだか訳の分からないことを言うようですが、つまり、夢のなかに未来はありえないということですね。そのもっとも極端な例が、アメリカの最近の映画なのです。近未来映画とかで、おどろおどろしい生物や、うにょうにょの異星人が、にょろにょろと活躍する、まさに夢のなかに未来を描いているようなものですね。

お化け屋敷は人気があるのですが、お化け屋敷ばかりでは、もううんざりと言いたくなりませんか。それに比べて、もう半世紀も前に作られた映画なのに、本当にすばらしいものがたくさんあります。近頃はDVDが安く販売されていますので、容易に手に入り、とても楽しんでおります。

ハンフリーボガードなんてたまりませんね。今、手元にありますものでも「黄金」「マルタの鷹」「サハラ戦車隊」「アフリカの女王」と、ほとんど白黒の映画ですのに、とても面白いですね。昨日も何十年ぶりかに、黒澤明監督の「七人の侍」を見たのですが、本当に画面の中に吸い込まれてしまいました。

これこそ『生きる活力になる』というものではないでしょうか。ただ、売れるものと良いものとは違うということは、よく言われているのです。子供だましと本物の違いなのでしょう。実際的に、民主主義の傲慢さを恐れずに言いますと、子供じみた人のほうが多数であることは間違いないでしょう。

未来への危うさの最大の根本原因は、人間の欲望であることは間違いないと思いますね。未来への安易な夢、現実的な快楽、過去の忘却、エネルギーの浪費、正しく、人間の欲望が渦巻いているということなのです。

全てを自由にすれば、全てはうまくゆくというのは、人間に対する自惚れです。いかなる人間であろうと、踏み越えてはならぬものがあると思うのです。ある意味では、それは生命倫理の問題なのでしょう。自然を冒涜するようなことは、はっきりと制限すべきなのです。科学とて自由ではありえないのです。人間の命とて、絶対的なものではありえないのです。

創造などということが容易なことではないことは、真剣に仕事をしている人にはよくお分かりでしょう。私とて、諸先輩のたゆまぬ努力に対しては、常に敬意を持っております。勉強もしております。当然のことではないでしょうか。

「新しければよい」とか「古いからダサい」とか、創造とはそれほど単純なものではありえないのですね。アメリカの自由にしても、そこには常に金の計算が働いております。ですから、そこには常にエネルギー浪費の危険性が潜んでいるとも言えましょう。翻って、キューバの共産主義はどうでしょう。 教育医療は優れているけれども、国民生産は非常に低いのですね。

どちらがどうのということはできないのですが、少なくとも、アメリカが絶対的だとは言い切れないでしょう。日本のアメリカさま様の戦後に対して、疑問を持つ必要性があるということなのです。近頃、ようやく日本の歴史を見直す風潮が出てきましたが、日本にはすばらしい歴史があります。もちろん、反省しなければならないこともたくさんあるのですが、日本は常に厳しい自然に向き合っていましたから、たくましい創造性があるのです。

未来が安易なものであるとは、とうてい肯定できないことでしょう。それだけに、われわれ現代人は辛抱しなければならない点が多々あると思われますね。、何をどうするのかは具体的に述べる必要があるのですが、何より、多くの人々を納得させる方策が必要であるということです。

大変に厳しいことではあるとはいえ、安直な未来観こそ、未来を破壊させてしまうことは間違いないでしょう。