大翔(ひろと)君に、葵ちゃん
 
睦月/January2008
めでとうございます。 先年も何とか無事に生きながらえた感謝と、今年もまた無事であることへの願いをこめて・・・・・・。

大翔君に葵ちゃんというのは、2007年生まれの一番人気の名前だそうです。なんともはや、大きな名前ですね。大翔というのは、大きく大きく飛んでくれという願いが込められているのでしょうし、葵というのは、どういう意味なのでしょうね。いずれにしても、大変に大きなという意味があるのでしょうが・・・。

私はなんとなく違和感を感じてしまうのです。 一昔前なら、正とか義、和、冶、利、勝というような、社会的な意味を込めた名前をつけていたのですが、現代では、翔、蓮、優、悠、大というように、表面的な美しさを追い求める言葉ばかりのような気がするのです。意味がほとんど無いのですね。

『時代の流れ』という言葉で全てが説明できるわけは無いのですが、それでも『時代の流れ』に流され続けるのが、現在に生きることだとしたならば、時代の反映がそこにはあるのでしょう。

現代の人は小さくなっているといわれていますね。何が小さくなっているのかが問題なのですが(実際、アメリカでは平均身長が縮んでいるとも・・・日本でもそういうことが言われていますが、それはともかく)、人としての考え方が小さくなっているということでしょうね。

ふと、新聞に目を落としますと、『俺は大きなことをする。まじめに働いてもたいした人生じゃなか。人間いつかは死ぬから面白おかしくやったほうがいい』という言葉が目に入りました。『面白く事なき世に面白く』といって、幕府を蹴散らしたのが高杉晋作でしたが、上記の言葉は、佐世保乱射事件の犯人の言葉なのです。

この違いは何でしょうか。この違いがわからない人はほとんどいないと思うのですが、乱射事件の犯人は卑小な考え方の上で、事件を起こしてそれを大きなことだと言っているのですから、自分自身は非常にと言いますか、異常にとでも言いますか、小さいということですよね。

もちろん、何時の世でも極悪人はいたのですから、単純な比較はできないとは思うのですが、犯人にはまったく正義が分かっていないのですね。長州藩では、正義党と俗倫党が争い、晋作の正義党が勝利して、幕府を打ち倒したのは、有名なことですね。

これは、大変に大きなことなのですが、乱射犯人の言う大きなこととは何なのでしょう。やはり、これは自分自身にとっては大きなことでしかないということなのですね。自分が大きいとか小さいと決めるのは自分の勝手ですから、自分では(自殺)大きなことをしたと思って死んでいったのでしょう。確かに、新聞やテレビを騒がせていますから、大きなことであるという客観的事実もあるのです。

また、守屋元事務次官とかにしても、仕事を楽しむという側面がまるで見えないのですね。ゴルフは楽しんで見えるようですが、肝心の仕事がなおざりになり、官憲の手に捕らえられたことは明白ですし、仕事の何であるかの認識が、非常に弱いということなのでしょう。

それは、楽しみとは何であるかという基本的なことに立ち返らなければなりません。仕事はつらいが、遊びは楽しい。一般的にはこのように言われていますが、本当に楽しいのは仕事ですね。あの達成感は何物にも変えがたいものがあります。ただ、そこまで到る苦しさというのは、気楽な息抜きの遊びとは雲泥の差があるのも事実ですね。

高杉晋作でも、よく遊んだといわれております。特に維新の志士はよく遊んでいるのですが、あくまで息抜きですから、遊びに熱中することはとてもできないのです。しかし、守屋さんとかは、夫婦でよく遊んでいたようですね。どうしてそのようなことができるのか、試験、資格制度の盲点であることは今後考えねばならぬことでしょうが・・・・。

仕事とは一生学ぶことであることは明確です。現代において、人が小さくなっているというのは、学ぶことを続ける人間が少なくなっているということでもあるのでしょう。 大翔君も、葵ちゃんも名前負けしないようにがんばってくださいね。