社会保険
 
文月/July2007
うしてこんなことになってしまったのでしょう。 もちろん、社会保険庁の管理そものがずさんであったのは間違いないのでしょうが、年金という考え方自体が、労働を会社に勤めることと設定しているように思いますね。当たり前のことのようですが、私などは仕事ができなくなったら終わりと考えるタイプですから、老人の仕事ということももっと考えたほうがよい、と思っているのです。

もっとも、老後を優雅に過ごしたいと思っている人は多いのでしょうが、二人あるいは一人でどのような優雅な生活ができるのでしょうか。自らの仕事を持っている人はともかく、そうでない人は惚けてしまうのはいたし方の無いことでしょうね。ボケを治す薬などという、考え方はぼけることを病気だとしているからでしょう。

ボケは病気ではない。生きる力がなくなっているだけ。私はそう思っています。年金がたくさんあれば呆けないという事ではないでしょうし、年金が少なくとも楽しく暮らしている人は多いと思いますね。これは個人の心の持ち方だと思うのです。

もちろん、生きる張り合いというのは、周りの人々によっても違うでしょう。例えば、家族の問題、そして、国、あるいは地域の老人に対する取り組み方、多くの人々はそこに救いを求めるはずなのです。なかなか一生の仕事ということは難しいことではあるのですが、楽に楽しく仕事をすることは周りの人々の協力によっても可能なことのはずです。

わたくしの養祖父、実の祖父母、ともに明治時代の生まれでしたが、三人共に死ぬまで仕事をして、90いくつまで生き、大往生を遂げました。それだけの環境に恵まれたということもあるのでしょうが、何より自らが仕事に対する確固たる考えを持っていたようですし、孫に対する希望や、母の感謝を常に維持し続けていたということですね。

何でもかんでも金の計算をしてしまう、現代人の悪い癖が、この社会保険事件の裏にはあると思いますね。もちろん、金は必要でしょう。でも、生きるためには本当に必要なのが金だけなのでしょうか。楽しむということ自体が容易でないことがわかっているのでしょうか。偉そうなことを言うようですが、博打でも勝たなければ面白くないのですが、それなりの成績を上げるには、それなりの努力も必要なのだということなのですね。

話が横道に逸れてしまいましたが、だから社会保険庁が正しいとはとんでもないことで、『地獄の沙汰も金次第』『それにつけても金のほしさよ』とも言われていますように、金への恨みが大変に強いのは当然ですね。この事件の最大の原因を官僚の傲慢さに求めたとしても、それほど間違ってはいないでしょう。

この事件がきっかけになるかどうかはわかりませんが、変化の兆しが芽生えたとしても不思議ではないでしょうね。