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先月でしたか、川をコンクリートにしてしまえば、「アユもどき」の成育が難しくなると書きましたが、コンクリートにするのは、大人が楽だからですね。最近では注意するようになってきてはいるようですが、化学薬品の使いすぎが、人体に影響するという、人間にとっては皮肉なことはいつでも生じております。 これも、大人が楽をしたいからなのでしょう。
大人は「勉強しろ」「勉強しろ」というのが当たり前のようですが、この当たり前のことが非常に恐ろしいということなのです。なぜ「勉強しろ」「勉強しろ」とやかましく言うかといえば、実際、勉強した人が社会の中心として威張っているからなのです。そのような仕組みが出来上がっているからですね。この中心になっているのが、現行の教育制度なのです。端的に言ってしまえば、よく勉強できる人がよい大学(よい大学というのがあるのでしょうかね?)に入れ、よい地位を得られるのだとすれば、教育ですべてが決まってしまうということなのですね。どうして、現場のたたき上げで、よく勉強している人をえらいさんにはできないのでしょう。 仕事では、どうしても、勉強しなければならないのですが、勉強した人よりも、勉強している人のほうがよほど有能なのです。ところが、大学で選別するとなると、どうしても高校の教育が勉強の中心となってしまうのですね。しかも、高校の教育ぐらいでは、ほんの上っ面のことしか教えることができないのです。たとえば、関が原の戦いは1604年(あってますか?)なのですが、高校ぐらいではそれくらいのことしか教えられないのですね。 実際に仕事ということになりますと、関が原の戦いで負けた石田三成が自殺しなかったので「どうして死ななかった」と聞かれて「再起するつもりだった」と三成は答えた。それを徳川家康は褒めたという話があります。これなどはとても示唆に富む話なのですが、とても高校生ではわからないでしょう。でも仕事というのはそれほど複雑なものがあるのですよ。 しかも学校の勉強では教科だけは多いですから、よい点数を得るためには、よほど熱心に勉強しなければならないでしょう。冗談じゃない、ローハイドもコンバットも見たいし(古いですね)、好きなこともしたい。勉強ばかりしておれるか、と、まあ、それが自然ではないでしょうか。 それに、学校の勉強と仕事の大きな違いは、学校の勉強は自分のためであり、仕事は社会との関係において成り立っていますから、仕事の場合は常に百点近い点数を要求されるということなのです。自動車免許だって90点が必要ですからね。 そこへゆくと学校の勉強というのは、100点だろうが0 点だろうが、多くの人は文句を言わないでしょう。もちろん、近頃流行のいじめ親なら、御飯も食わせてもらえないでしょうが、それは学歴社会を信じ込みすぎているからなのですね。教育が絶対的なら、勉強するしかしょうがないからなのです。 ことに仕事にそれほど深いかかわりの無い母親は、教育にのめりこみがちですが、教育できることというのは基本の基本ですから、100点と30点の差は、人間の有能さとはほとんど関係ないことを認識すべきですね。それより、お父さんと仲良く・・してください。そのほうが教育的ですよ。 今年もよろしくお願いいたします。 |