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耳学問というのはおうおうにして安易な答えになりがちなのです。ましてや多くの人々の支持を得るということになれば、東大出とか、血統がよいとか、美男だ、美女だというような、あるいはよく喋るとか、面白い顔をしているとか、美味いとか味無いとか、結局はそのような薄っぺらな判断が中心になってしまうのです。テレビのバラエティ番組を見ていれば真剣な人ならば、「一億総白痴」は間違いないというでしょう。つまり人気とは所詮そういうものなのです。民主的ならすべて正しいというような言い方はできないでしょう。なぜなら、最も民主的なアメリカが最もエネルギーを浪費しているからなのです。 日本でも例外ではありませんね。人間というのは欲張りで、それを正しいとする自由を絶対的にしてしまいますと、究極的には自分たちがよければそれでよいということになってしまうのです。自由であり平等であり、博愛的であるといえばそれでよいのですが、ともすれば自分は楽をしたいとか、長生きしたいとか、ロボットに任せようとか、ということになるのです。 つい最近、皮肉なことですがテレビでは、国の天然記念物である「アユもどき」を守ろうというような番組をしておりました。「アユもどき」というのはドジョウの一種ですから、川底をコンクリートにしてしまっては住み着くことができませんし、昔なら普通にあったあぜ道、川もコンクリートにされてしまっているのです。つまり、なぜコンクリートにしてしまうかといえば、手入れをする手間が省けるからなのです。自然というのはほっておくことではないのです。実に手間のかかることをしなければ自然を守ることができないのですね。 もちろん、すべてを自然絶対だとしてしまえば、人間が絶滅するのも絶対自然ということになり、そのほうが地球のためにはよいかもしれませんが、やはり人間としては、面白くありませんよ。 ただし、人間が生き抜くためには、自然の巧みさ繊細さを十分に活用しなければならないでしょう。言葉では簡単なのですが、何しろ、人間の欲望というのはとてつもなく大きく、自然何するものぞというようなうぬぼれが氾濫しております。 代表的なのが高層ビルでしょう。あのエネルギー浪費の化け物は、自然を見下ろして≪俺の言うとおりにしろ≫と命令している専制君主の姿に見えてなりません。どうしてあれほど人々を集中させる必要があるのでしょうか。要するに≪金の計算だ≫という拝金思想があるからでしょうね。 話がそれてしまいましたが、テレビというのは耳学問的なところがありますから、数の優位性においては、欲望的にならざるをえず、「一億総白痴化」現象の番組が氾濫するのは致し方ないでしょう。しかし、真剣に過去現実未来のことを考えている人もいるはずです。 そういう人がいなければ、会社が維持できないのはまじめに働いている人ならよくわかっているでしょう。つまり、具体的に言うなら、報道、教養、芸術というような番組も、堂々とゴールデンタイムに放送しなければいけないということなのです。 もう少し詳しく書ければよかったのですが、何しろ師走ですので忙しいです。それではよいお年を・・・・・。 |