政治家とは(?)
 
神無月/ October2006
渡辺崋山は画家として有名ですが、実際には政治家だったのです。田原藩という小さな藩の家老であったのですね。もともと家老ではなかったのですが、家老になったいきさつが面白いのですね。

詳細は避けますが、田原藩には後継者がいたにもかかわらず、藩主が死んだ後に姫路藩の酒井家から養子をもらっているのです。江戸時代の家系は絶対的だと思っていた私は驚いたのですが、財政逼迫の田原藩では養子の持参金をあてにして、正統な後継者を袖にしてしまったということなのですね。

この重役たちの姑息な手段に、猛烈に反対したのが渡辺崋山であったのです。自ら藩政を改革して藩財政を立て直さなければならないのに、養子の持参金に頼るなどということは、その時にはわずかな効果はあったとしても、財政事情を好転させることはほとんどできないでしょう。

こういうことがまかり通るというのは、いかに改革が難しいかということでもあるのですが、現実というのは安易な方法に頼ろうとする数の力が大変に強いということでもあるのですね。逆に言いますと、改革者には強いリーダーシップがいるということでもありましょう。

このころには多くの雄藩では強力な改革がなされ始めてていたのですが、多くの優秀なリーダーがいたのです。それが明治維新につながったのは間違いないとしても、政治家がいかに重要であるかということでもありましょう。

翻って、現実における政治家はどのように選ばれているのでしょう。強力なリーダーが輩出するような状況ができているのでしょうか。つい最近でも、人気のある野球選手を候補者にしたいと奪い合っているというような情報がありましたが、「当選できる人より当選させたい人」というような見識が政党にはあるのでしょうか。

実際には田原藩の重役と同じように、一時しのぎの人気者や、官僚出身者、家系に頼るというような状態でしかないのですね。能力者をどのように見い出すかというのは、政党の非常に重要なことのはずですが、どのように考えているのでしょう。

もちろん、政党法や選挙方法に問題はあるのですから、明らかな改革を必要としているはずですが、それを言うことはタブー化しているようですね。「選挙に負けたのは選挙方法が悪いからだ」とは、なかなか言えないからでしょう。

でも、本当に改革できるのは、間違いなく政治家ですよね(官僚ではありません)。どのように政治家を選ぶのか、どうすれば優れた政治家が生まれてくるのかを、腰をすえて考える必要があると思いますよ。

もっとも、「改革」する必要性など感じていないというのが、多数者であることは間違いないのですが、「改革」する必要性は、環境、エネルギー、資源、人口等あらゆる面から絶対的に必要なことであることも間違いないでしょう。天才の頭脳がすべてを解決してくれるような人間賛歌はありえませんね。多くの人々の協力なくして未来もありえないでしょう。

なお、渡辺崋山は猛反対した養子の藩主に取り立てられ、藩政改革をゆだねられるのですが、高野長英とか大塩平八郎とかにかかわったとか、何かの理由をこじつけられて罪人にされ、自刃して果てるのです。しかし、彼らが明治維新のさきがけであったことは間違いないでしょう。