![]() |
||
確かに、私自身も鶴田浩二の(ご存じない人もいるかもしれませんが、彼は特攻隊の代名詞のような俳優だったのです)かっこよさに痺れ、やくざ映画もよく見に行ったものですが、それはやくざの世界における正義としてのフィクションに浸っていたということですね。正義は勝つの人気性は現在でも同じなのです。 その端的に現れたのが、郵政改革選挙ですね。総理大臣としての権限を強引に使い、郵政民営化問題を「改革するか、しないか」という端的な問題にすり替え、若者たちを自民票として取り込み、公明党という宗教政党を篭絡して、票としてはそれほど変わりはないのに、議員獲得数では圧勝するという『離れ業』を成し遂げたのですね。 正しく人気のなせる業でしょう。一般的には甘い人々も大変に多いのです。大声を出す人や、気張る人がテレビ画面をにぎわしているのは、人気が先行してしまうからなのでしょう。奇抜な格好をしているだけで、内容は面白くないのが近頃の漫談ですよね。 小泉さんが内容のない人気主導型の首相であることは間違いないのですが、もう一度冷静に特攻隊のことを考えて見ましょう。特攻隊はほとんど戦果を挙げられませんでした。まともに当たったのが一機だけとか読みましたが、当然なのですね。船に向かって爆弾を抱えた飛行機が突っ込むだけなのですから、艦砲射撃の餌食になるのは目に見えています。 特攻隊に応募した若者はともかく、このような作戦を立てた指揮官の責任を厳しく問わなければなりません。特攻隊だけでありませんね。「勝つか死ぬか」を武士道だと喧伝した教育制度の根幹には何があるのでしょう。
A級戦犯合祀問題にしても(BC級戦犯でも軍事裁判に当たりますから、殉職者に列挙することはできないでしょう)、彼らは罪を犯したのではなく、占領軍に殺されたということで靖国神社に祀ったのだとの説明がありますが、「一億玉砕」との言葉の裏には、戦争はみんなの責任だという強烈な思いがあるからなのです。特に日本帝国軍の関係者がA級戦犯合祀の問題に強く絡んでいたといわれています。何のことはない、自らの罪を払拭するためにしていることなのですね。責任者の罪は重いというのはいかなる場合にも当然なことなのです。天皇専制「天皇陛下万歳」と教え続けた責任は非常に重いと思います。本当に人々のことを思いやる心があったならば、戦争は避けられたはずですし、死ぬことをたたえるような愚慮なことなされなかったでしょう。死ぬことを恐れないこととは違うのですね。 なお、靖国神社は一宗教法人です。そんな神社が殉職した人々を祀ってもよいのでしょうか。天皇専制「天皇は神聖にして侵すべからず」の条項があった帝国憲法においては、まったく問題がなかったとしても、象徴天皇「政教分離の原則(信教の自由)」がはっきりしている現在の憲法下においては、靖国神社に殉職した人々を祀るのは間違っています。憲法違反ですね。 新しい殉職碑を立てて、祀り直すのは当然でしょう。靖国神社が形骸化するとか言われていますが、当然のことでしょう。前にも書いたかと思いますが、靖国神社が祀ることができるのは、せいぜい戊辰戦争によって亡くなった人々ですね。戊辰戦争は、徳川を崩壊させた戦争ですから、西南戦争や日清日露、第一次大戦太平洋戦争とは、まるで様相が違いますし、これこそ、神社に祀るにふさわしい戦いの犠牲者でしょう。 最後に、小泉さんはおやめになるそうですが、小泉さんにはカッコだけとはいえ強さもあったのですから、跡を継ぐ人は・・・・・。すると、自民党は・・・・・。 |