師走/December 2004

人間は「夢」がなくても生きてゆけるのでしょうか。

答えは「否」ですね。たとえ死刑囚であっても、死刑を執行しない限りは死刑囚は生き続けるでしょう。
死刑が宣告されたとたんに死ぬ、というようなことはまったくと言ってよいほど起こらないでしょうね。
日々生きていることに喜び(夢の力)を見出しているからなのです。

もちろん、「天国に行けることを楽しみにしている」とか、「地獄がどんなところか興味がある」と言う人もいるのでしょう。自殺者が後をたたないのは現実的な夢が閉ざされたと思った人が、死ぬことによって救われると思い込んでしまうということでもあるのですね。
ある意味では自殺者というのは、途方もない夢にうなされてしまつたのだとも言えるでしょう。

しかし、「夢」といってもさまざまな形をとります。
例えば、大の巨人ファンで、一生懸命巨人を応援することを喜びとしていれば、巨人が優勝することが夢になるのですが、実際に優勝するかしないかは巨人の力なのですね。
ファンは一生懸命応援するだけですから、「俺達が優勝できなかったのは、ファンの応援が少なかったからだ」とは、巨人選手は言わないでしょう。
選手にとっては、野球をすることが仕事であるからなのです。

それどころか、優勝できなかったのは監督のせいだとか、球団が悪いということになるのですが(現実的には、プロ野球機構に問題ありですね。それはともかく・・・)、ファンにとってはこれも夢なのですね。これは、親が子供に託する夢とも良く似ているのです。自分ではどうしょうもないことでもあるからなのです。

親が子供に夢を押し付けるのはともかく、自らの夢ということになりますと、仕事ということでしょう。
仕事というのは、誰かのお役に立っているということなのです。ですから、主婦が料理をするというのは、家族のために役に立っているのですから、立派な仕事でありますし、お父さんが競輪をして負けるのは、立派な(?)趣味であるということですね。しかし、それでも夢ではあるのです。


「夢」と一言で言っても、さまざまなものがあると言いたかったのですが、実際に寝てみる夢は、どうしてすぐに忘れてしまうのでしょうね。起きてすぐに紙に書き写しておけばよいのかもしれませんが、私には子供のころには恐ろしい夢にうなされ続けていた記憶があるのですが、子供のころの夢のほうが記憶に残っているというのは不思議ですね。子供時代はそれだけ純朴であったということなのでしょうか。

そろそろ「初夢の月」になりますが、つまらない夢でも見てすぐに忘れることにしましょう。
どうか皆様も良いお年を・・・・。