改革の難しさ  神無月/ October 2004

いつの時代にあっても改革の難しさというのはあるはずですね。
現実を維持することによって自らの利権を護ろうとする、特に偉いサン達が多いからなのです。
多くの人々にとっては、利権とは直接的にはかかわりはないのですが、利権を保持している人に雇われていることが多く、結局は改革の難しさということになるのでしょう。

例えば、プロ野球のストは回避されたのですが、問題の球団経営ということでは、何一つ解決されていないのですね。おそらく、今後においても、よほどのことがない限り改革はなされないでしょう。
新しい球団も黒字になることはないでしょうし、合併したからといって黒字になることはないからなのです。できる限り公平にしようということなら、球団経営の考え方を根本的に考え直さなければなりませんし、とりもなおさず、利権を放棄しなければならない球団が反対するからなのです。

例えば改憲にしても、すぺての改革の始まりとも取れるような重要なことであることを、多くの人々はわかっているのでしょう。それでも、すでに何十年も言われ続けている憲法改革に真正面から取り組むことができずに、審議会とか、委員会とかお茶を濁し続けているのは、改憲が大変革をもたらす危険性を察知しているからではないでしょうか。多くの官僚にとっては、あるいは政治家にしても、現実的な利権を容易に捨てることはないでしょう。

例えば、国連改革にしても、大戦後そのままの状態では、なかなか機能しないのでしょうが、大国が利権を捨てることもないでしょう。

改革の難しさは、なんと言っても現実的な利益を護ることの力のほうが強いからなのですし、明治維新にしても、天皇という歴史的な君主のもとで武家制度を崩壊させたのですから、改革には強い説得力、あるいはヒーローが必要だということですね。

ある意味では強力な権力者において改革はなされるということは、紛れもない事実ですから、プロ野球にしてもコミッショナーの権限ということでもありますし、政治の世界においても、憲法の改革なくしては、政治の改革はありえないということなのですね。



私も田舎の片隅から「改革」を主張しているのです
が、首長の権限拡大を図る、憲法改正を取り上げ
ていますし、憲法改正なくして改革はないと思って
おります。
しかし、現実的には政党官僚政治が利権保持の体制を固めていますし、未来への不安が募るばかりなのです。

こんなことを書いているとなんとなく無気力になってしまいそうな気分に襲われてしまいますが、ぜひとも、自分の思いのたけだけはぶつけてみたいものですね。