親孝行について
 
皐月/May2008
孝行したいときには親はなし
私は典型的な親不孝者だと自認しているのですが、親に対する恩というのは、誰しも感じているものです。 子供のときに親に世話をしてもらったのだから、当然、年老いた親を世話すべきなのですね。
理屈にしてしまえば簡単なことなのですが、これほど複雑なことはありませんね。

昔から、大問題でもありましたから、『論語』でも、
子の曰く、今の孝はこれよく養うを謂う。
犬馬に到るまで皆なよく養うことあり。
敬せずんば何を以って別たん。
とまで、孝を尊敬にまで深めているのですが、確かに犬馬を養うのとは違うのです よね。

一緒に住めば、尊敬なくして心を通わせることはできないでしょう。家族制度というのは、家族労働ということを基本にしていますから、老人が尊敬を得ることは難しくないでしょう。 ただ、それを現代に当てはめますと、会社勤めのお父さんは、家では寝転がっているだけということになってしまうのですね。

これでは心を通わせあうどころか、いがみ合うだけの家族ということになってしまいそうですね。 当然核家族的な家族が普通になってしまいますから、老後の不安はますます増幅すると言 うことですね。

日本の老後はどのような形になるのでしょうか。 家族崩壊は、核家族が平均的になることと同じ問題であることは間違いない でしょう。一人暮らし、一人老後が増えるとしても、その後はどうなるのでしょうか。

果たして、これらは個人の問題として解決できることでしょうか。おそらく無理でしょう。金さえあれば何とかなるというような問題ではなく、多くの人々が滞りなく受けられることといえば、おそらく民間では不可能でしょうね。

でも、できるだけ世話をかけないと言うような老後生活になりますと、個人の自立性と精神力が求められるのでしょうが、大変に難しいことでもありますね。
人々には人々の老後がありましょうが、老人としての覚悟のようなものが必要になるのではないでしょうか。

それなら、もう一度家族制度を見直すのもひとつの方法ではないでしょうか。
あまり世話をかけない老人、過重な負担を背負わない主婦、毅然とした態度を示す夫、というような条件をク リアすることは、容易なことではないでしょうが、一方的に国に政府に頼るような老後では、多くの人々が不安に陥り、ますます病的な症状に苦しむという、言いようのない老後地獄には 、うんざりしてしまいますよね。

ここではまったく、それを書くだけの余裕はありませんが、誰だって、自らの老後を不安がらない人はいないでしょうね。 しかし、この問題は大変に複雑ですから、金の計算しかできない ような政府では、無理なことだと思いますね。