もが自分のことだけは書けるとか言われておりますが、確かに自分の事ですから、
リアルに書けるのは当然なのです。
しかし、私はできるだけ自分の事は書かないというのが信条です。

歴史であれ事件であれ、それを描こうとすれば、それなりの勉強や思考を働かせねば
なりませんが、自分の事ですと、書き易いですし、多くの人々の興味も引くでしょう。
でも、それだけで終わってしまいそうな気もしますし、本当に役に立てるものである
かどうかは疑問な点もありますから、避けたいという気があるのです。
とはいえ、私には隠しておきたいような事もありますので、隠していると思われます
のも心外ですので、ここだけで、そっと私の事に触れておこうと思っております。

竹野衆星 はペンネームです。
よく本を読んで見える方は、この衆星は論語からだと御気付きになるでしょうが、論語にこの言葉があることを私は知りませんでした。 
本名は、
竹尾和美です。1944年に生まれています。
いわば太平洋戦争末期ですから、名付け親のお爺さんは戦争を嫌っていたようです。
子供の頃の記憶はありませんが、いろいろと回りから聞かされたものだろう記憶らしき
ものは残っております。
ところが、5・6才の頃でしょうか、私の大波乱の人生が始まったのです。
股関節を結核性の病気に襲われてしまったのです。そして後遺症として股関節の自由が
利かなくなってしまったのです。そして、この病気には苦しみ続ける事になるのですが
何よりも、足が悪いために強い運動ができなくて、忍耐力・体力が弱かったということ
です。
後にもう一度足の手術をして、ようやく体を鍛えられるようになり、それなりの訓練を
して自分を取り戻したのですが、実際にはそれだけ遅れてしまったという面もあるので
しょう。

ただ、幸いにも、田舎で育ったために足の悪い事にそれほど
こだわることなく、のびのびとしていたようです。
実際、勉強は好きではなく、終日野山を駆け巡っていた記憶があります。家の手伝いもしました。もちろん、物書きになろうなどという大それた気は毛頭ありませんでした。普通に暮らせたら、という作文を書いた記憶があります。
ところが、何故なのか、兄のためか私のためなのか、貧乏なはずの我が家には、毎月、
世界文学全集とか日本文学全集が配達されていたのです。私はそのほとんどを読破した
のです。勉強嫌いの私を魅了したものは何だったのでしょう。これが今も働きながら
勉強している最大の理由でしょう。
ただ、妙な事件に巻き込まれて、本格的に勉強をはじめて、本を出すようになったのは
つい十年程前のことですから、まだまだ年のわりには駆け出しなのです。

以上簡単ですが、これ以上書きますと自分の事は書かないという信条にもそむきますし
多くの人々に迷惑がかかる恐れもありますので、これでお許しください。
                                              
                                                                        
竹尾拝